| 名前 | Jalob Ludwig Felix Mendelssohn - Bartholdy (ヤーコブ ルードヴィヒ フェリックス メンデルスゾーン バルトルディー) |
| 生没 年月日 |
1809年2月3日誕生 1847年11月4日死亡 |
| 出身地 | ハンブルグ(4才でベルリンに移住) |
| 家族 | 祖父:モーゼス 父:アブラハム(1778 - 1835) 母:レア(1777 - 1842) 姉:ファニー(1805 - 1847) 妹:レベッカ(1811 - 1858) 弟:パウル(1813 - 1874) 本人:フェリックス = 妻:セシル(1816 - 1853) 長男:カール 長女:マリー 次男:パウル 三男:フェリックス 次女:リリー |
| 友人・知人 | カール・クリンゲマン、 エドゥアルト・デヴリエント、 フェルディナント・ヒラー、 ヨハン・ドロイゼン、 カール・ライネッケ、 ニールス・ガーゼ、 ロベルト・シューマン、 フレデリック・ショパン、 フランツ・リスト、 エクトル・ベルリオーズ、 フェルディナント・ダヴィット、 イグナーツ・モシェレス、 ゲーテ、 デルフィーネ・フォン・シャウロート、 ジェニー・リンド |
| 性格 | 積極的、完全主義的、社交的、明朗、慎重 |
| 特技 | 水彩画、作曲、ピアノ演奏、ラテン語、文学、 |
| 主な職歴 | 1833年 デュッセルドルフ市音楽監督 1835年 ライプツィヒゲヴァントハウス交響楽団指揮者 1841年 プロイセン王立芸術アカデミー音楽部門主任 1845年 ライプツィヒゲヴァントハウス交響楽団指揮者 |
| 主な業績 | 「マタイ受難曲」蘇演。バッハ、ヘンデルなど古楽復興。シューベルトの交響曲「グレイト」の初演。 ライプツィヒ音楽院創設 |
| 代表作 | 付随音楽「真夏の夜の夢」、 序曲「フィンガルの洞窟」、 ヴァイオリン協奏曲 ホ短調、 歌曲「歌の翼に」、 無言歌「春の歌」、 オラトリオ「エリア」 |
| 作風 | 形式は古典的な枠組みを保っているが、楽想はロマンティックで、特にスケルツォなどにみられる軽妙さは彼の最も優れた個性といえる。楽曲全体の形式的なバランスや管弦楽の色彩などは精緻を極め、流麗で美しいが、抑制された感情が前面に出ることは少ない |
| 年号 | 主な出来事 |
| 1809 | 2月3日、ハンブルグに生まれる |
| 1810 | ショパン、シューマン誕生 |
| 1811 | 両親が子供達を連れて、ベルリンに移住 リスト誕生 |
| 1813 | ワーグナー、ヴェルディー誕生 |
| 1814 | 母から、ピアノのレッスンを受ける |
| 1816 | ルードヴィヒ・ベルガーにピアノを習う |
| 1818 | グノー誕生 |
| 1819 | ツェルターの弟子になる |
| 1820 | ベルリン・ジングアカデミーに入会 |
| 1821 | ヴァイマルのゲーテを初めて訪問 |
| 1824 | モシェレスに何度かピアノのレッスンを受ける ブルックナー誕生 |
| 1825 | ケルビーニに認められ、プロの音楽家を目指すことになる 弦楽八重奏曲 Op.20、を作曲 ベルリン、ライプツィヒ通り、3番地に引っ越す |
| 1826 | 序曲「真夏の夜の夢」を作曲 ウェーバー没 |
| 1827 | ベルリン大学に入学 ベートーヴェン没 |
| 1828 | シューベルト没 |
| 1829 | 3月11日、ベルリン・ジングアカデミーで、メンデルスゾーン指揮の下、バッハの「マタイ受難曲」を復活上演 イギリス、スコットランドへ旅行 |
| 1830 | 10月、イタリア訪問。ベルリオーズに出会う ミュンヘン、ウィーン、ヴェネツィア、フィレンツェに旅行 |
| 1831 | ナポリ、ローマ、フィレンツェ、ミラノ(モーツァルトの遺族を訪問)、スイス、ミュンヘン(ピアノ協奏曲第1番を初演、デルフィーネ フォン シャウロートに献呈)、パリ(ショパン、リスト、ヒラー、と親交を深める)へ旅行 |
| 1832 | 長期旅行の最後をなるロンドンで熱烈な歓迎を受ける 序曲「フィンガルの洞窟」の決定稿を完成 ツェルターの死により、ジングアカデミーの指揮者の後任に立候補する。 |
| 1833 | ジングアカデミーの選挙で敗れる デュッセルドルフ市音楽監督に就任。交響曲「イタリア」Op.90 を作曲、4月にロンドンで初演 ブラームス誕生 |
| 1834 | アーヘンで行われた音楽祭で、ショパンとヒラーに再会 |
| 1835 | ライプツィヒのゲヴァントハウス演奏会の指揮者に就任。シューマン、クララヴィークと親交を結ぶ 11月19日、父の死 サン=サーンス誕生 |
| 1836 | フランクフルトでロッシーニに会う。また、セシリア教会で歌っていたセシル・ジャンルノーと知り合う |
| 1837 | 3月28日、セシル・ジャンルノーと結婚 |
| 1839 | 3月21日、シューベルトの交響曲『グレイト』を初演 |
| 1840 | フリードリヒ・ヴィルヘルム四世がプロイセンの王位に就く チャイコフスキー誕生 パガニーニ没 シューマン、クララヴィークと結婚 |
| 1841 | フリードリヒ・ヴィルヘルム四世の招きに従いベルリンに赴任 ドボルザーク誕生 |
| 1842 | ライプツィヒでベルリオーズと再会、指揮棒を交換する 交響曲「スコットランド」Op.56を完成。イギリスで、ヴィクトリア女王に謁見。 12月12日、母の死 |
| 1843 | 4月3日、ライプツィヒ音楽院の開設。ベルリンへ再び移住。大聖堂聖歌隊の指揮を担当 10月14日、付随音楽『真夏の夜の夢』初演 |
| 1844 | ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64を完成 10月、ベルリンでジェニー・リンドと知り合う |
| 1845 | ベルリンの責務から解放され、再び、ライプツィヒのゲヴァントハウス演奏会の指揮を担当 フォーレ誕生 |
| 1846 | 8月26日、バーミンガムで、「エリア」を初演 |
| 1847 | 4月、ロンドン、バーミンガム、マンチェスターで『エリア』の改訂稿を指揮 5月14日、姉ファニーの死。 11月4日、フェリックス・メンデルスゾーン死去 |
| 1849 | ショパン没 |